小公女 感想

まず、強く印象に残ったのは、セーラ・クルーは薄幸の美少女ではないということ。



セーラは、美しいというよりは不思議な魅力があり、人をひきつける、印象的な少女だということでした。(「セーラには、セーラだけのもっている、変わった美しさがありました」)

まだ父親が健在で周りからちやほやされていた頃に、友達のアーメンガードにこうもらしていたのがとても記憶に残りました。



「いろんなことがぐうぜんにおこるものなのよ。」



「あたしには、いろんないいことがぐうぜんにおこったの。あたしが勉強やご本がすきで、お習いしたことをよくおぼえるっていうのも、ほんのぐうぜんなの。すばらしくって、頭がよくって、ほしいものはなんてもくださるっていうような、おとうさんの子どもに生まれたのもぐうぜんよ。あたし、もしかしたら、ほんとは、ちっともいい子じゃないのかもしれないわ。だけど、ほしいものは、なんでもいただけて、みんなからやさしくされたら、だれだって、いい子にならいでは、いられないでしょう?」



自分の境遇に対して客観的な考え方をもつのはとても難しい(特にセーラのように周りからちやほやされるお金持ちの子どもでは)と思うのですが、7~8歳で自分でこの考えに到達できるというのは相当人間ができてる、と思いませんか。

これは単純に頭がいいだけでは導き出せない考えだと思います。



この後も何度もセーラの主張であるぐうぜんという考え方が示されます。



哀れな下働きの少女、ベッキィと初めて話をした時も出てきました。



「あたしたち、ぜんぜん同じでしょう。-あたしはあなたと同じような、ただの女の子なの。あたしがあなたでなくて、あなたがあたしでないっていうのは、ただのぐうぜんのできごとなんですもの。」



誰からも用をいいつけられ、しかられたり、ぶたれたりばかりしている身寄りの無いみすぼらしい下働きの少女と、豪華な衣装を何着も持ち、自分だけの立派な部屋をあてがわれ、身の回りの世話をする小間使いまでいる少女・・・



なんだか切なくなりますね。同じ女の子なのに、同じ人間なのに、この差は一体なんなのか。

そして、セーラのこの考えが繰り返されるのはあの恐ろしい出来事の後でした。



セーラの父親がインドで破産し、病気で亡くなった後で、セーラはミンチン先生から人形のエミリー以外の全ての持ち物を没収され、屋根裏にあるベッキィの隣の部屋に行くように言われます。そこでセーラの陥った境遇を知り泣きづめに泣いたベッキィが控えめにはいってきました。



「ねぇ、ベッキィ、」とセーラは、いいました。

「あたしたち同じなのだって、いったでしょう-ただのふたりの女の子なのだって。それがほんとだってこと、わかったでしょう。いまは、ちっともちがわないのよ。あたしはもう王女さまではなくなったの。」

ベッキィは、セーラのそばへかけよって、手をとりました。それを、自分の胸にしっかりおしあてながら、そばにひざまずいて、愛情と悲しみで、胸をいっぱいにして、すすり泣きました。

「いいえ、おじょうさま、あなたは王女様です。」ベッキィのことばは、とぎれがちでした。

「どんなことになったって-なったって-おじょうさまは、やっぱり王女さまです-どんなことになっても、ほかのものにはなれないのです。」



このベッキィの言葉も、とても心に響きます。

確かにベッキィもセーラも(あの意地悪なラヴィニアでさえも!)同じ女の子ではあるけれど、セーラはその考えによって、他の女の子とは全く違う存在であるということなのです。



セーラはまた、繰り返し想像しています。



「私がもし王女さまだったら」

「人民におくりものをまきちらすことができるのだわ。でも、なったつもりの王女さまでも、ひとのためにしてあげることを考え出すことができる。」



セーラの考える王女さまというのは、私たちがよく考えるようなふわふわした幸せと贅沢の象徴ではなく、気品にあふれた行いと、自分より恵まれないものへの純粋な施しの心を体現する存在のようです。



そして、自分が持っているものを、それを必要とする人におしげもなく与え見返りを求めないのでした。お腹をすかせ、親切に飢えたベッキィには厚く切ったお菓子と暖かいもてなしを。自分が何も持たなくなってからも、自分が与えられる唯一のもの、美しくて素晴らしい物語を友達に聞かせてあげるのでした。(セーラはお話を作って話して聞かせるのがとても上手なのです)



施すという行為は自分が相手より上であるという考えが根底にあるので、ちょっと微妙な気持ちになりますが、それでも劣等感を感じさせない誠意ある心からの贈り物であれば、施しをうけるほうもありがたくちょうだいできるのではないでしょうか。



ただ、人によっては自らの劣等感を刺激され、強く反応してしまうこともあるでしょうね。

ミンチン先生のように、他人にいばりちらして自分の権力を感じるのが好きな、その実、実態はお粗末であることも自覚している大人には、セーラは鼻持ちならない少女のように感じたでしょう。



この出会いもまた、ぐうぜんであり運の悪いめぐり合わせでした。





時間切れなので、続きはまた。

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